『才能』

日々練習を積み重ねていく中で、同じ練習メニューをこなしていても回数を重ねていく毎に差が出てくる。

最初からある程度できる選手もいれば、回数を重ねていくごとに上達していく選手もいるし、練習をただカタチだけ真似して
繰り返す選手もいる

できている子がいて最初からできているから「あ!才能があるね」とはならない。

競技を問わず、最初からできている選手でもその本質を見ようとしなかったり、努力をしなかったりすると簡単に結果は覆ってしまう。

10年以上前、将棋の棋士でる羽生名人が『才能』とは努力を継続できる力 という風に言葉に発していたのが今でも記憶の中に残っている。

陸上競技の場合、多少なりとも身体的な要素がものをいう世界であるのも事実としてあるけれども、極端な話 日本人が陸上100mで黒人と勝負することを
やめるか? と言われば答えは「NO」だろう。

そこを認めたくないし、違った辿り着き方があるのだろうと模索しながら練習を続けている。

そのスプリントの歴史が今日の9秒台にもつながっていると思うし、これからも記録は伸び続けていくのだろうと思う。

身体的な面も精神的な面も含めてゴール設定や目的意識をより具体的にしながら、自分なりに考えて継続して練習する。

低学年ながら「私はこの子にかち勝ちたい」「〇秒で走りたい」と具体的な目標を言葉にする選手がいました。

一方、高学年になって注意されても集中せずふざけながら練習している選手もいます。

練習メニューは同じコンセプトでもそこに集中して継続できる姿勢・継続して努力することを惜しまない選手こそ本当に才能があると私は考えています。

身体だけが成長しても、そこに心や頭がついてこなければ、トータルで成長することはできない。

その逆もあって、頭だけ賢くてもその動きを表現するまで努力しようとしないパターンも成長を止める。

ましてや個人競技・・その努力の方向は誰に迷惑をかけるわけでもなく自分に跳ね返ってくる。

速くなりたい・負けたくないという闘争心が根底にあって初めて向上心が生まれるし、考えて体を動かそうとする。

50mを3本走りましょうというメニューがあったとして
この練習をただ50m無心でこなして「今日の練習は楽だったな(笑)」がゴールになっているうちの成長はなかなか厳しい。
その隣で、「腕ふりをこうしよう」「姿勢はこうやって走ろう」と集中して3本走っている選手がいたら・・
ここを意識しましょうと助言してもそれをそもそも聞いてませんでした…前の選手を見てませんでした…というレベルで継続したとすれば、

そしてその練習が365日続けば…
成長は天と地ほど開いてしまう。

スポーツは意外と身体的なセンスだけをフォーカスして見てしまい勝ち。
陸上の100m ※外からみたら走って何が楽しいの?
とよく見られるけど、意識して考えながら練習することで動きや感覚が変わっていき、それが結果(数値や順位)に表れることで成長を感じることができる。

意外と頭勝負。

集中力・動きを理解する力・継続する力。

子供のうちからその全部を高いレベルで求めすぎるのもまた違うけれど、色んなレベルの動きを見て・感じて‥真似して‥

自分の動きや意識・感覚を言葉で説明できるくらい経験をたくさん積んでいってほしい。

最初は形からでもいい。

継続していく中でその動きや物事の本質が見えるようになってくる。

そういう方向に進んでいこうと矢印を進めることがまず重要な一歩だと思います。

 

 

2 件のコメント

  • 素晴らしいメッセージです。
    同じ練習でも何を考えているかで、まったく違いますね。

    • 卓海さん

      コメントありがとうございます。
      そうですね。

      意識・姿勢・心で同じことをやっていても全然違ったところに辿りつきますよね。
      いろんなことに共通して言えそうです。

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