なぜ陸上を続けるの?

高校から陸上をはじめて今年…34歳。
競技生活18年目。

私自身もともと足が速かったわけではなく、最初は陸上部の中では一番遅いランクに位置していた。
ただそんな中でも走るのは好きで名門と言われていた県立社高校に入学して陸上部に入部。

練習は厳しく・・最初はシンスプリントで動けない時期があったりとほんとに弱かった。。
ただ先輩が故障中に補強やウエイトなどできるメニューをついて教えてくれたり、精神的なフォローをしてくれたのを今でも覚えている。

200m初戦(デビュー戦)は向かい風ということもあったが25″1というさんざんな結果だったことを覚えている。
その年の夏の試合、23″48とベストを更新し一年を終えた。

そして冬季練習を迎える…
社高校はマイル(4×400mR)が伝統的に強く、一旦短長パート(200m・400m)パートに入るコースが主流だった。
とにかく走りこむ。

(300m×3)×3~4が多かった印象、そして人生初めてのウエイトトレーング。
筋力もなくただただ苦痛だったが、そのウエイトトレーニングでも故障することなく冬季を終えることができた。
きつくて吐く・酸欠過酷でしたね・・(笑)

高2になり
マイルメンバーや4×100mRのメンバーに選ばれるようになり始める。
OBの方も矢野は新人だから‥みたいな感じで丁寧に技術指導してくれたのもあって、どんどん吸収していった。
200mは22″58まで更新。400mは52秒くらいだったかな。。。?
IH路線では個人では力及ばず。。
リレーではバトンをつなげば近畿IHへ駒を進められるという決勝で痛恨のバトンミス‥
頭が真っ白になったのも苦い思い出として残っている。

夏‥顧問から呼ばれ‥400mのセンスがないと思うから100m・200mに移動したらどうか?という提案を受けた。
そこを起点に何かが自分の中で変わった・・そんな気がする。
秋の試合、、初めての100m 追風参考ながら10″98と初レースでまさかの10秒台!

その冬の県合宿にも呼んでもらい‥高校最後の冬季練習を積む。
当時ライバル意識を持っていた楊井(元中学記録保持者10秒68)は不在でいつか追いつきたいと野心を持ちながら冬季練習を積んだ。
その冬季は坂練習が多く、最初はきつい印象だったが、、、坂で進むポイントを発見し、急に疲れなくなった。

そして高校3年生、
兵庫対京都という春先の試合からシーズンイン。
100m初戦で10秒84(公認)でベスト更新。

県IHでは200mベストを1秒以上更新する21秒42(当時大会新記録)で優勝
100mは10秒78でライバルであった楊井に敗れた‥

近畿IH
大阪・京都・兵庫の激戦地区でもIH予選。
200mでは大阪高校の金丸。100mでは添上高校木村と全国でもトップクラスのスプリンターが集う近畿地区。
100mは10秒69で2位
200mは21秒6?で5位
4×100mは41秒2?で3位だったかな?
3種目で全国IHを決めた。

全国IH
何が起こったかよくわからないが、全然走れず。。100m・200mは予選落ち。
しかし4×100mRはメンバーの調子も最高によく‥全国IH優勝を成し遂げてしまった。

そこから大学‥朝原さんにあこがれて同志社大学へ入学。
関西の大学の風潮として比較的自由に陸上をすることができる。という風潮にあこがれて関西の大学へ進学。
高校の練習方法・ピーキングではいけない‥と思いつつも、リズムがつかめず苦戦したのを覚えている。
関西IC・全日本ICでは散々な結果だった‥

大学時代にはいろいろな出会いがあり‥(一言では言い表せない)大学2年生からパラダイム変化が起こった。
トレーニングの考え方・ピーキングの考え方‥今までと全く違ったやり方に可能性を感じ、夢中で取り組んだ。
大学2年では100mベストを10秒50まで更新。(当時の日本選手権標準を突破し)出場。→雰囲気にのまれ撃沈。

大学3年・4年では記録の安定と動作の裏付けに注視しトレーニングに取り組んだ。
出したいときに出したいタイムにそろえる技術。
これはやってよかったですね。

朝原さんを隣に感じて走ったり、一緒に練習させてもらったりと‥人生で大きな経験を積むことができた。
戦績も全日本IC2年連続4位。 西日本IC 100m・200m優勝などさまざまな可能性を残すことができた。

卒業後、一時 実業団に入団するも退社。
記録に行き詰まる‥

そこで学生時代によく相談していたAさんを訪れた。
陸上をやめるか続けるか?をさまよっていた時期・・・・・

その時「お前が陸上を思う気持ちってそんなもん?」っていう言葉を言われた。
「やれるところまでやったらいいって。まだ若いんだから‥。ずっと続けていけば”自分の位置”がわかるようになるよ。いろんな人が体が思うように動かなくなって引退していく。
  でもそこでやめてく人って陸上への気持ちってそこまでなんだと思う。 陸上が本当に好きならずっとやっていられるから」
という言葉をかけられたのを覚えている。
当時、私はまだ若く「記録が全ての陸上競技において記録がでなくなったらやめるのは当然だし、続ける意味はそこにあるのか?」と思いながら自分に落とし込めず数年さまよった。

それでも陸上が好きだったのかどこか感覚を追い求め走る生活を続けていた。
社会人での復帰戦? 10秒65という平凡なタイムで郡市区対校(兵庫県の大会)という試合を制したが、トラックに帰ってきたような気がして‥うれしかったのを今でも覚えている。
レース後、陸上を続けている人から 「よかったね」「おめでとう」と言ってもらえることが素直にうれしかった。

そこから一流じゃなくてもいいから、走ることを続けようと思えるようになりずーーーーーーーと続けている。
そして沖縄に移住ししばらく競技を続け‥今年、陸上を仕事にしたいとクラブチーム GROWTHを設立。

これからの世代に伝えられる自分が感じ・学んできたノウハウを‥ゆっくりゆっくり落とし込んでいきたい。

新たな陸上へのエピソードはゆっくりと動き始めました。

私が陸上を続ける理由。それは「好きだから」なんだと思います。