高校時代から陸上をはじめ、100mの自己記録は2008年の西日本インカレ決勝で記録した
10秒42(0.0m/s) ※大学4年次
そこから社会人陸上を続けてきた。(15年目)
この期間までずっと全力で走り続けてきたわけではなく、ただなんとなく惰性で競技をしてきた
期間も多かったように思う。
大学を卒業してから2020年まで‥長い。
そして2023年現在。高3時から倍の年月を経てまだ走り続けている。
2020年 GROWTH設立とともに「見せられる指導」をテーマに競技を再開し現在に至っている。
2023年10秒49(36歳)
2022年10秒49
2021年10秒64
2020年10秒81
2019年11秒13
2018年11秒14
2017年10秒64
2016年10秒80
2015年10秒74
2014年10秒75
・
・(試合にでていない期間)
2010年10秒63
2009年10秒65
2008年10秒42(大4)
2007年10秒48
2006年10秒50
2005年10秒76
2004年10秒69(高3)
大学卒業後実業団に入り、短期間で退団。
この後、陸上を辞めようと考えた。
学生時代によく陸上のアドバイスをもらっていた方に人生相談に行った時かけてもらった言葉
というのが今でもまだ残っている。
「大体の陸上選手は自分の記録が越せなかったり、一線で戦えないと判断して引退していく
陸上で飯くっていくわけではないなら、陸上が好きなら続けることなんていくらだってできる。
幸い日本という国は恵まれていて陸上を続ける手段なんてものはたくさんある。
この年齢(当時22歳)でやめるのは簡単だけどもお前の陸上に対する思いはその程度だったのか?
まだ若いからいっぱい悩んで苦しんだ方がいいよ」
という旨のものだった。
そこから大きな目標があったわけではないがただ生活の一部になっていた競技をただ自己啓発の一貫として続けた。
2020年に指導するという立場に立ったことで、
「自分のための競技」から「指導するための競技」へと少し自身の中でも競技に対する捉え方が変化したように思う。
練習時間や出場する大会もすべては2番目。
優先は教え子。
そこにはこれまでと違う向上心があり、子供達に対していい影響を与えられることに気づいた。
その向上心と取組内容の方向性がある程度マッチングしたのもあり自身の競技力は再度20代まで戻った。
ただ自己ベストは更新していない。「自己ベストを出す」ということだけにフォーカスしていないのでここまで続けられたのかもしれない。
本当の目的というのはもっと別のところにある。
自身が競技と向き合うことで机上や理論だけでは伝えられない、感覚やズレの修正力というものが養う。
このあたりは競技から離れると一人歩きをはじめて方向がずれていくし気づきも鈍くなる。
スプリント指導において(何を指導するにおいても) 自身に指導できる 伝える経験や嗅覚、能力があるかというのは重要(変な指導にならないためにも)。
私自身もまた子供達と過ごすことで気付かされることも多くある。
相互に経験を積んでいきながら
自身の競技力・指導力の向上を目標に掲げて子供達の成長に携わっていきたい。