走るということは陸上を競技として捉えなくてもできるし、ある程度であれば
速く走る事のできる人はいる。
そういう観点からみると速く走るということはほぼ才能であるかのように見られることが多い。
確かにそういう側面もあるかもしれない。
ただ今トップで走っている選手が全員最初から速かったのか?というとそうでもないケースもあるし
私自身も最初から速い選手であったわけではい。
陸上を「競技」として捉え この年齢になってももっと速く走れないか?と思考錯誤している。
練習頻度も週5.6という頻度でトレーニングしている。
トップアスリートそして今 教えている子供たちの周りにも自分より速い選手がいたりライバルと呼べるような選手がいるかもしれない。
そんな中で速く走ることに対してどれだけ本気で向き合えているだろうか?
努力してない人が「才能」だと口にするには早すぎる。
今自分達より強い選手が練習や私生活・・様々な競技をとりまく要素がある中でどれだけの努力をしているか。
どれだけ考え行動し競技に対して打ち込んでいるか知っているだろうか?
でもそれはそこに関心がなければずっと見えないまま。
速く走るためには‥それ相応の努力が必要。(何事も) それを人に見せなくとも影で努力している
選手は山ほどいる。
何事も才能を語る前に本気で努力しないことには結果は見えてこない。本質も見えてこない。
結果を出すために影で努力している人・才能を磨こうとしている人が全国にどれだけいて、
自分自身はその努力に対して本当に甘えずにできているか?
常に問いかけていかないとそういう領域にはずっと辿りつけないだろう。
走るということは本能のあるかのように思われがちだが頭を使って走らないことには
なにも根本的な動きの修正はきかないものかもしれない。
向上心・探求心そして何より負けたくないという闘争心。
数字として明確になるしシンプルなものだからこそごまかしがきかず奥が深い。
それが走ることの楽しさでもあると思う。